山形新聞2018年7月2日号「これぞ老舗」にて当社が紹介されました。

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山形新聞2018年7月2日朝刊「これぞ老舗」にて当社が紹介されました。

~大火乗り越え 快眠提案~ふとんの池田【酒田】~
1976年(昭和51)年10月30日早朝。寝具販売業「ふとんの池田」の4代目社長で現会長・池田健一さん(69)は、酒田大火の鎮火後間もない酒田市一番町で立ち尽くしていた。目の前にあるはずの店舗と倉庫、自宅、催事のためにそろえた商品は跡形もなかった。だが立ち止まってはいられない。「とにかくやらなければ」。酒田商人としての誇りに突き動かされた。
気概示す即売会
同社の創業は1916(大正5)年。健一さんの祖父勇太郎さんが「池田製綿所」として現在の地で綿の販売を始めた。ふとん製造も手掛け、屋号から「わたの亀蔵」「亀印」と呼ばれ親しまれたという。

56(昭和31)年に社長に就任した父で2代目の勝雄さんは、チラシを作って商品をPRし、主婦に布団の作り方を教えるなど商才を発揮した。前年には同社を含む東北地方の7寝具店で「東北互研会」を設立。勝雄さんはリーダーとして経営手法を学ぶ研究会を開催した。同会は後に、現在の西川チェーンの礎の一つになった。

69年に勝雄さんが53歳の若さで死去すると、「ふとんの池田が倒産する」とうわさが流れた。これを払しょくするため、3代目社長についた母敏さんは70年2月、市内で寝具展示即売会寿博(ことぶきはく)を初開催した。健一さんは「裁断や縫製など全ての工程を社員がやっていたので準備は大変だったはず。『ふとんの池田、ここにあり』と気概を見せたかったのだろう」と推し量る。

地元に根付き、愛される同社。一方で、創業当時から約60年間の歩みを伝える品の多くは残っていない。76年10月29日夕方から翌朝までの酒田大火で失われたためだ。炎が迫る中、持ち出せたのは帳簿や商品の一部、チラシのスクラップ帳などわずか。社員は近くの民家に避難した。「火の塊が飛んできて店舗後ろの倉庫から燃え出した。消火器で消そうとしたが、もうどうしようもなかった。」

2店舗と倉庫3棟、自宅が全焼した。夜が明けて現場を見た健一さんの表情で、敏さんは全てを悟ったのだという。だが同社はそこからの反応が早かった。30日午前、健一さんは営業再開に向けて空き店舗探しに奔走し、すぐに契約を結んだ。両羽町の工場は予約の婚礼布団などを再生産するためにフル稼働。全国の西川チェーンの店舗からは、商品と展示器材が次々と持ち込まれた。

焼け跡で真っ黒になった硬貨を集めてきた従業員もいたという。「自分も20代後半で若かったしね。正直、見切り発車だった」と健一さん。「修行先の他の寝具会社から帰ってきたばかりで、『困った』なんて言っている暇はなかった。」とも。北に約300メートル離れた仮店舗で営業を再開したのは、鎮火からわずか4日後の11月3日だった。

『庄内に合う寝具』
それからちょうど2年。創業当時から慣れ親しんだ場所に店舗を新築し、再スタートを切った。同社敷地は7割ほどに減少したが、自家用車の重要性を見越し、自宅などを移転した分で駐車場を広く設けた。新規客の獲得のために公民館で出張販売を行い、催事の回数も増やした。車社会が到来し、郊外に大型量販店ができてまちの姿は変わった。

寝具の素材も綿から羽毛や羊毛に移行するなど、大きく変化した。同社は、メーカーのアフターフォロー体制が整ったことを機に販売に重点を移し、社員がスリープマスターや羽毛ふとん診断士、ピローアドバイザーなど各種資格を取得して心地よい眠りを提案できるようにした。さらにメーカーと共同で庄内地方の気候にあった寝具を開発・販売している。その姿勢はまさに、経営理念にある「健やかな暮らしのお手伝い」そのものだ。

今年2月には長男の武史さんが5代目社長に就任した。健一さんは「100年は目標ではなく、結果だ」と言い「息子は息子で時代に合わせていくだろう」と期待を込める。

「寝具は個人調整の時代。快眠はお客様の生活の質の向上に直結する」と武史さん。通信販売をせずに体験型の店づくりにこだわり、寝具のメンテンナンスなどでも顧客に寄り添う。「要望があればご自宅にも伺う。お客様のための商品を紹介したい。」寝具専門店として老舗として。志は確実に受け継がれている。